社会不安とソーシャルワーク

 1920年から半世紀近く続く診断主義学派と機能主義学派の論争は、いずれの学派も援助の関心が人間の心理的な問題に傾倒してしまい、ソーシャルワークの社会的な視点を失ってしまっていた。それは生活に困窮している貧困者を援助の対象から外すという結果をもたらし、第二次世界大戦後の様々な社会問題や社会不安の拡大の中でソーシャルワークが本来の役割と果たしていないとする批判が内外からあった。

 第二次世界大戦後のアメリカは、経済的な発展のなかで、貧困は過去のものとなった印象を与えていたが。1960年代に入るとベトナム戦争の勃発やケネディ(Kennedy,J.F.)大統領の暗殺など社会不安が広がっていた。また、1963年にハリントン(Harrington,M.)が著した『もう一つのアメリカ』では、1950年代終わりにアメリカ全人口の4分の1から5分の1が貧困状態にあり、その状態が世代間で再生産される悪循環(貧困の文化)に陥っていることなどが指摘された。その他の統計調査からも「貧困の再発見」がなされた。1964年になるとジョンソン(Johnson,L.B.)大統領は貧困戦争(War on Poverty)を宣言した。このような社会不安の拡大や貧困の再発見の中で、この時期のソーシャルワークに対して、本来の使命としての社会変革を課題として突きつけた。

 1950年代から1960年代にかけてのアメリカは、失業や貧困のみならず、犯罪や青少年の非行、黒人の公民権運動に象徴される人種差別などさまざまな社会問題の出現と解決が求められるようになり、社会変革が必要とされる時代であった。公民権運動の成果として1964年の公民権法や1965年の投票権法の成立があげられるが、経済的な差別が依然としてのこり、貧困過程の多くは黒人家族が占めた。その状態に対して、1960年代に各地で公的扶助受給者を中心とする「福祉権組織(welfare rights organization)」が組織されるとともに公的扶助引き締め施策に抵抗する権利要求運動としての福祉権運動が全国に広がっていった。しかし、ソーシャルワークは精神分析学への過度の傾倒により貧困の克服や社会変革の理念とは逆に「自助の原理」を貧困者や貧困家庭に強いる実践となり、社会的に批判され、そのあり方が厳しく問われた。これを受け、さまざまな社会問題とその問題の社会的背景への視点をもち、制度や施策の改善を取り組むことでクライエントとその生活を支えることを重視しようとする動きがみられるようになる。ソーシャル・アクション(social action)などの社会環境の改善を促す援助技術やソーシャルワークの役割としての権利擁護(advocacy)が生まれるとともに、個人へのかかわりも社会環境との関係の中で社会生活を送る生活者としての人間理解への視点が重要視されるようになっていく。

パールマンの問題解決アプローチと「ケースワークは死んだ」

 1954年、そのころの社会的状況の中でマイルズ(Miles,A.)が、人間の心理的側面に傾倒したケースワークに対して、リッチモンド(Richmond,M.E.)以来の伝統である社会環境への視点を取り戻すべきだとして「リッチモンドに帰れ」と主張する。1950年代に入ると診断主義学派と機能主義学派の折衷を図る動きが見られるようになり、その代表的人物として1957年に『ソーシャル・ケースワーク-問題解決の諸過程』(Social Casework:A Problem Solving Process)を著したパールマン(Perlman,H.)がいる。パールマンは、人は生きることそのものが絶え間ない問題解決の過程であるとして、診断主義学派と機能主義学派の折衷を図り、問題解決アプローチを提唱した。さらにケースワークを構成する要素として4つのP(「人(person)」、「問題(Problem)」、「場所(place)」、「過程(process)」)を示し、後に1986年の論文で「専門職ワーカー(profession)」と「制度・政策(provision)」を追加した。さらに、問題解決の主体はクライエントであるとし、問題解決に取り組むクライエントの力を「動機付け(motivation)」、「能力(capacity)」、「機会(opportunity)」からなる「ワーカビリティ(workability)」と表現した。そして、ソーシャルワークの役割は、クライエントのワーカビリティを向上させることにあると主張した。この問題解決アプローチは、ケースワークの理論として登場したが、今日ではソーシャルワーク全体の基礎的な理論として理解されている。

 パールマンは、社会問題へ対応できていないソーシャルワークへの批判とその有効性が疑問視される状況で、『ケースワークは死んだ』(”Casework is Dead”)という論文を発表し、ケースワークの存在意義を問い直した。その中で、社会問題の解決にソーシャルワークが社会変革を促進する役割をもつべきであるが、その役割を果たしていないと批判した。一方で、その中でもケースワークが具体的な生活困難に立ち向かうことは、社会問題の一部分の解決に働きかける動きであることとして、ケースワークの存在意義を認めるとともに、再生の道があるという期待を込めていたとされる

ソーシャルワークのモデルの乱立

 パールマンが問題解決アプローチを提唱して以降の1960年代以降、ソーシャルワークはさまざまな理論的背景に基づく多様な実践モデルを生み出していくことになる。それはソーシャルワークの対象を個人と社会の両方を対象とすることで、ソーシャルワークの独自性や存在意義を示すとともに、その方法や技術を実践的・理論的に発展させていく試みであった。

 ホリス(Hollis,F.)は診断主義の流れを汲みつつも、1964年に『ケースワーク:心理社会療法』(”Casework:A Psychosocial Therapy”)を著し「心理社会的アプローチ」を提唱する。それは、人とその人を取り巻く状況、および両者の相互作用という視点から、状況のなかの人(person in the situation)に焦点を当ててクライエントの状況を捉えるアプローチである。ホリスが提唱したような、人と状況との全体関連性への視点とはたらきかけは、その後のシステム理論や生態学理論を導入したソーシャルワークに繋がる。

 バーネット(Bartlett,H.M.)は、多様な実践形態からソーシャルワークの実践や方法として共通基盤があるとした。1970年に『ソーシャルワークの実践の共通基盤』(Common Base of Social Work Practice)を出版し、その中でソーシャルワーク実践の構成要素として「価値の体系」、「知識の体系」、「人と環境との相互作用への多様な介入方法」の3つをあげ、それを共通基盤とした。

 人と環境の相互作用への視点と働きかけを重視するなかで、システム論や生態学(エコロジー)に基づくソーシャルワークが開発されていく。そのようななかで、問題の原因を突き止めて治療を施す医学モデルから、人間生活や問題状況を全体的に理解することを中心に援助を展開しようとする生活モデル(ライフモデル)の考え方が重視されるようになった。ジャーメイン(Germain,C.B.)とギッターマン(Gitterman,A.)は、生態学を基盤としたソーシャルワーク論と展開して、1980年に生活モデルとその生態学的アプローチを提唱した。

 生活モデルの登場以降、ソーシャルワークの新たな潮流としてエンパワメントやストレングス、ナラティブなどさまざまなソーシャルワークの理論やそれに基づく実践モデルが出現するようになる。これらの理論や実践モデルを含めて、現在のソーシャルワークが保有している多くの理論を整理したのは、ターナー(Terner,F.J.)である。彼は、1996年に『ソーシャルワーク・トリートメント-相互連結理論アプローチ』(Social Work Treatment:Interlocking Theoretical Approaches)を編集・出版した。