ソーシャルワークの前史

 ソーシャルワークが組織的に展開される以前に、社会的弱者に支援の手をさしのべたのは宗教的な価値観に突き動かされた人々であった。ヨーロッパではキリスト教が慈善活動の源流となる活動を始め、日本では仏教がその役割を果たす。

 資本主義社会の成立の舞台となるイギリスで1601年エリザベス救貧法ができる。1800年代に入りイギリスで世界に先駆け産業革命を経験し、都市化が進み、富をもたらす一方で様々な問題も生み出された。これに対応するため1834年に新救貧法が制定される。

 19世紀後半、産業革命後のイギリスでは都市化に伴う諸問題に直面し、特に貧困が大きな問題となった。この都市化の問題を明らかにするためにブース(Booth,C.)1886年からロンドンの労働者や貧困層の生活実態の調査に取り組み、『ロンドン市民の生活と労働』を残す。ブースのロンドン調査により、貧困の原因が個人ではなく、社会や経済的な要因によるものであることを明らかにした。富永健一は、ブースの『ロンドン市民の生活と労働』、ル・プレー(Le Play,F.)の『ヨーロッパの労働者』、ラウントリー(Rowntree,S.)の『貧困』を社会調査の三大古典としている。

慈善組織協会(COS)

 1860年代には、ロンドンには相当数の慈善組織があり、それぞれが貧困層の救済のために活動していたが、相互の情報交換や協力体制がないため、当時の社会問題に効果的に対応できていなかった。そのような状況の中で、1869年に最初の慈善組織協会(Charity Organization Society)がイギリスのロンドンで設立された。慈善組織協会(COS)にはロック(Loch,C.)の指導のもと、要保護者の個別的訪問である友愛訪問やケース記録の集約、慈善団体同士の連携による慈善活動の組織化が行われた。友愛訪問はケースワークに発展し、組織化の推進はソーシャル・アドミニストレーション(社会福祉運営)の方法・技術を発展させた。

セツルメント

 セツルメント運動とは、知識や財産をもつ人がスラム街に住み込み、社会的に弱い立場にある人たちや生活に困窮している人たち、その家族と生活を共にしながら、人間的な接触を通じて地域福祉の向上を図ろうとする事業の展開である。「住み込み(residence)」「調査(research)」「改良(reform)」の三つのRを活動の中心として展開された。

 セツルメント運動を最初に組織的に行ったのは、バーネット(Barnett,S.)である。ロンドンの貧民街に住み込み、当初は慈善組織協会(COS)委員会創設の活動をしていたが、社会改良主義のセツルメントへと転換していった。バーネットのはたらきによって1884年に大学セツルメント協会が発足され、大学セツルメント会館「トインビー・ホール」が建設された。

 アメリカにおける最初のセツルメント運動はコイツ(Coit,S.)が1886年にニューヨークに開設した隣保館(Neighborhood Guild)であったが、代表的なセツルメントはジェーン・アダムス(Addams,J.)のハル・ハウスである。ハル・ハウスには、アクション・リサーチの祖の一人とされるデューイ(Dewey,J.)も関与しており、実践と実証を行っていた。

YMCA・YWCAとボーイスカウト・ガールスカウト(ガールガイド)

 19世紀後半から青少年団体が設立される。キリスト教青年会(YMCA)は祈祷会や聖書研究会の活動を行うことを目的とし1844年に設立され、キリスト教女性青年会(YWCA)は女性の祈祷組合と看護師ホームが合併して1885年に設立された。

 ボーイスカウトは、ベーデン-パウエル(Baden-Powell,R.)によって設立され、ガールスカウト(ガールガイド)はボーイスカウトから派生した活動である。

ソーシャルワークへの発展

 前述の通り、産業革命は肯定的な変化だけでなく都市化に伴う諸問題も生み出した。19世紀後半の社会調査により、貧困が個人の怠惰や堕落によってもたらされるのではなく、社会構造によって生み出されるものであることを明らかにした。

 困窮家庭への友愛訪問を展開した慈善組織教会の活動はケースワークへと、生活弱者にグループ活動を展開したセツルメント運動や青少年団体等のグループ活動はグループワークへと発展した。また慈善組織教会の組織化を進める過程や、セツルメント・ハウス(運動)の地域への援助は、コミュニティワークに発展した。

ケースワークの確立

 アメリカでケースワークとして発展していくことになり、その中心人物が「ケースワークの母」と呼ばれるリッチモンド(Richmond ,M.E.)である。1897年にトロントの全国慈善矯正会議で訓練校の必要性を発表し、1898年ニューヨーク慈善組織教会の「応用博愛夏期学校」の開設に寄与する。また、リッチモンドは長年のケース記録の分析により1914年に『社会診断』を発刊した。その中でケースワークを「社会的証拠の収集から始め、比較・推論を経て、社会診断を導き出す過程」と定義した。そして、「社会診断」を「クライエントの社会状況とパーソナリティをできる限り正確に定義する試み」としている。リッチモンドは「社会診断」の後、1922年に『ソーシャル・ケース・ワークとは何か』を執筆し、ケースワークを「人間と社会環境との間を個別に、意識的に調整することを通してパーソナリティを発達させる諸過程から成り立っている」とした。

専門化するソーシャルワーク(1920年代)

 セツルメント・ハウスの活動や慈善組織協会の活動などが発展してくると、ソーシャルワークが細分化、専門化する時代に入る。その一方で実践者からは一つの専門職としてのまとまりを求める動きも出てくる。その過程において1923年~1928年のミルフォード会議が重要な役割を担った。1929年の報告書では、各分野に共通する概念や知識・技術など基本となる部分のケースワークである「ジェネリック・ソーシャル・ケースワーク」と特定分野で専門的な概念や知識・技術などを用いて行うケースワークである「スペシフィック・ソーシャル・ケースワーク」が示された。そして、ジェネリック・ソーシャル・ケースワークの重要性の認識のもとに、その特性が示された。

 1920年代の特徴として、社会科学や医学などの諸領域から影響を受けたことも上がられる。またこの時期に、ケースワークにおける科学的な調査研究方法の統計的方法と事例研究的方法の接近が始まったとされている。先の二つの調査研究方法によるクライエントの理解である。

世界恐慌・大不況(1930年から1939年までの10年間)とソーシャルワーク

 1929年にニューヨークから始まった世界恐慌により、公的機関がサービスを提供する必要が生じる。1933年にルーズベルト(Roosevelt,F.D.)が大統領になり「ニューディール政策」が進められた。これによりケースワーカーが公的機関に雇用され、ケースワークの技術の形成に繋がった。さらに1935年に社会保障法が成立すると、ソーシャルワークの技術はさらに発展するとともに、民間のみならず公的部門から提供される機会が増えた。これらのことがソーシャルワーカーが専門職として確立するうえで追い風となった。また、この時期に、社会福祉事業の拡大とともに、ソーシャルワーク・グループワーク、コミュニティ・オーガニゼーションにも専門化の兆しが現れ、発展していった。1935年に全米ソーシャルワーク会議では、ソーシャル・ケースワーク、ソーシャル・グループワーク、コミュニティ・オーガニゼーション、ソーシャル・アクションについて議論がなされた。